法学学位プログラムの定員は33人、仕事がきっかけで学び始める人が多い。中でも今、注目されているのが「リスキリング」だ。将来の幹部候補となる若手の人材育成の場として、このリスキリングを実践すべく、国内外のビジネススクールに社員を派遣する「企業派遣」を導入する企業が増えてきている。企業派遣制度を通じて、社会人になってから再度学びをスタートさせ、仕事と研究を両立させていた生徒に話を聞いた。

下村さん(宝印刷株式会社)

会社の中長期ビジョンと学びへの意欲が合致。学びを通して会社に還元したいという想い

下村さんが勤務する会社はディスクロージャーサービスのパイオニアとして、株主総会招集通知や有価証券報告書などの開示書類の作成支援や株式上場の支援を行っている。そのような中、下村さんは株主総会招集通知の作成支援業務を通じて、関連法令の「会社法」に興味を持った。業務では会社法の一部にしか触れる機会がなく、サービスを提供する側としてさらに幅広い知識を学ぶべきと考えていた下村さん。実は、上司の黒木さん(執行役員)も同じことを考えていた。
「私どもの仕事は、まさしく企業の開示のための相談所のようなところです。昔と違って、今の複雑な日本の法体系の中で開示をするにあたり、どのように開示を考えているかが重要な部分なのですが、きちんとした学びをしている者が民間企業にはほとんどいないと思います。
我々にとっては、お客様に寄り添えるサービスを提供することが第一です。研究者目線を持った開示のスペシャリストが当社にいることは、我々の本業のところに対する信頼感にもつながると思いました。また、実務の世界で研究者の目線を持った者が企業の開示はどうあるべきかを発信していけば、それは大きな意味があると思うんです」。

企業派遣をするための社内での意思決定

「企業派遣では会社が大学院の授業料などの一定の費用の負担をすることになりますが、社内ではどういった意思決定がされたのですか」

「実は、企業派遣は私の発案でなく、大元は会社の人材教育の一環でした。ただ、人材育成には時間がかかるし、お金もかかる。しかし成長したいと思う社員に成長の機会を与えて、キャリアデザインを一緒になって描くことは優秀な人材の流出を防ぐことにもつながります。また当然ながら競合他社との差別化策にもなるわけです。中長期的なビジョンを考えたときに、研究者レベルの知識をもった社員を会社におくことの必要性を感じていました。
ようやく企業派遣の方針が決まって、いざ誰を送ろうかと思ったときに、後ろの席にいた下村さんと目が合って。チャレンジの手を挙げてくれて、とても嬉しかったですね。」と黒木さんは下村さんを見て微笑んだ。

強い意志と実行力が、職場のカルチャーを変えていく

大学院選びは下村さん自らが行った。業務との両立を考えると、夜間大学院という選択肢は必然だったと下村さんはいう。「全日制に通うとなると、実務の知識が薄れてしまうというリスクが怖かったんです。」
晴れて大学院生となった下村さんは、早朝を授業の準備やレポートの作成にあて、日中に出社。夕方分まで会社の業務をこなしながら、大学院のリモート講義を受講する。「その頃はほとんどがオンラインでしたが、金融商品取引法演習のゼミは私の希望で対面にしてもらいました。社会人経験の長い仲間たちの中でレベルの違いに苦労しましたが、アドバイスもたくさんいただき、実りも多かったです。」
しかし株主総会の開催が集中する日本では、繁忙期には早朝から出社することも多くなった。「そのころは非常に大変でしたし、自分が会社の役に立っているのか不安になったこともありました。」

上司の黒木さんや周りの同僚もそんな下村さんの変化に気づいていた。「企業の経営者や、その部門を統括している者はいろいろと夢を語るけれど、それを社員に全部背負わせるわけにはいかないと思っていました。今は、彼女には企業理念やビジョンを伝えておくべきだったと思っていますが、当時はやはり、彼女が委縮しないように、会社の使命ですとかですね、そういうことは言わないようにしたつもりでした。それでも彼女にちょっと無理を言ってしまった気がして、私は非常に心が痛みました。彼女はファーストペンギンとして、相当に苦労したと思います。」

賢明に業務と学業を両立する下村さんを見ていた会社の同僚は、派遣当初以上に下村さんを応援するようになったという。「常に戻ってきていろんな話ができるホームがあるのは、多分強みになると思うんですよ。」
実際、職場でも学びが還元されている。「大学院の中の授業でこんなのがあったんですよと。同僚たちが、ほぉーと言いながら、すごく楽しく聞いている。レポート論文のまとめ方が叩き込まれているので、彼女が書くとレベルの高い文章ができあがっているんです。」

下村さんは修士論文を書き上げて優秀論文賞を受賞し、学業成績も優秀だったことから人文社会ビジネス科学学術院賞も受賞した。今は進学も志しているという。
「『人は宝』の宝印刷ですから(笑)。社長も次のステップに行ってほしいと、強く思っているようです。」

まとめ

今回取材した宝印刷では、大学院に社員を派遣するというかたちで社員のリスキリングを行ったことにより、社内にも新しい風が吹き、社内の活性化にも一役買っている。経済産業省が提唱した「リスキリング」は世界共通の経営課題でもある。少子高齢化による人手不足が深刻化する中で、労働市場における人材確保はますます厳しさを増している。テクノロジーの発展により、人間の仕事のあり方が大きく変わる中で、質の高い人材を育成することは企業にとって急務だろう。
会社が主導するリスキリングの取り組みはまだ始まったばかり。どの企業にもいずれは訪れるであろう「人材難」の問題。会社の持続的成長の一手となるであろう社員のリスキリングに、大学院への企業派遣を検討してみるのはいかがだろうか。

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